朝礼ネタはびっくり雑学。
普段知ることがないような雑学を披露しよう。
びっくり! 面白い雑学
オスの三毛猫は3万分の1の確率でしか生まれない
三毛猫はほとんどがメスである。
オスは3万匹に1匹しか生まれない。そこため非常に高値で取引される。
数千万単位だとか。猫愛が強い人には価値があるのだろう。
SOSは何の略でもない
遭難信号SOSは正式名称があるわけでない。モールス信号で打ちやすいから使われた。3短点「・・・(トントントン)、・・・(ツーツーツー)、・・・(トントントン)」の単調なリズムなので緊急時に使いやすい。現在モールス信号はほぼ使われない。
だが世界中で遭難を伝えるメッセージとして普及している。地面に大きくSOSと描くなど、すぐに認識できるメッセージだ。災害時、屋根や屋上にSOSを描き救出された例はいくつもある。
ちなみにSOS信号を世界で初めて使ったのは有名なタイタニック号であった。
静岡にもドでかい砂丘がある
砂丘といえば鳥取砂丘を筆頭に3大砂丘を思うだろう。だが、静岡県に中田島砂丘というドでかいものもある。南北約600メートル、東西約4キロメートルの大きな砂丘だ。ドラマのロケでも使われる名所である。夏季にはウメガメが産卵にくるなど見どころもある。
あまり知られていなくても美しい場所はあるのだ。
▼ 中田島砂丘PR動画
超弩級(ちょうどきゅう)の「ド」は「恐れ知らず」を意味する
1906年イギリス海軍に大型戦艦「ドレッドノート(dreadnought)」があった。その頭文字「ド」を日本語で「弩」を充てがう。よって日本で大きい戦艦を「弩級艦」と表記された。
そしてドレッドノートは訳すと「恐いもの知らず」だ。超弩級戦艦は「超怖いもの知らずの戦艦」。訳すと微妙だが超弩級戦艦はかっこいい。
ハツカネズミは二十日で子どもを生む
妊娠期間が二十日だけだ。それだけで子どもを生む。ゆえに二十日ネズミ。一回の出産で8~12匹ほどである。その強い繁殖力はヘビのエサ用、実験用とちょっとかわいそうになるが、医療の実験で貢献してくれていることに感謝する。
爆笑は大勢の人が同時に笑うことで一人で爆笑はありえない
「昨日テレビで爆笑してさ」は間違い。
あくまで「大勢の人が同時」に笑うことなので、一人なら大笑いであろう。テレビで「爆笑! ハプニング映像」なんてでていれば「みんなで笑ってね」ということ。
ピーナッツバターからダイヤモンドを作ることに成功していた
ドイツBayerisches Geoinstitut大学のDan Frost氏が、ピーナッツバターからダイアモンドを生成することに成功していた。
最適な条件を揃えたとしても、水素が含まれているせいでダイヤモンドが作られるスピードはとてもゆっくりになる。「2~3mmの大きさのダイヤモンドを作るのに、何週間もかかる」とのこと。まだまだ開発途中だ。もし低コストで成功したら人工ダイヤモンドを安価で手に入れられるかもしれない。
水よりお湯のほうが凍るのが早い
普通に考えれば水のほうが断然早く凍りそうだが違った。水とお湯を同時に冷凍庫に入れると、お湯のほうが早く凍る。ムベンバ効果と呼ばれるが原因は解明されていない。
ムベンバ効果を確認しやすいのは、お湯35℃と水5℃を使って実験を行った場合だ。まったくもって不思議である。
一万円札の原価は23円
安い…。そんなものだったのか。一万円を稼ぐために、しんどい思いをしてやっと得る対価の原価が約23円。
ほかにお札の原価は
五千円札 約20円
千円札 約15円
ちなみに「朝礼ネタ 14の面白い雑学」では硬貨の原価も載せていたが、お札って安く作れるんだな。
流行色は2年も前から繊維業界が決めている
流行色は2年も前から決められる。「インターカラー(国際流行色委員会)」という世界14カ国が参加している国際組織で方向性が決まる。一つに絞らず複数の色を決めると、実シーズンの1年半前に国内の流行色を選定する組織「日本流行色協会(JAFCA)」で国内向けの流行色を話し合いで決める。
前もって決めているのは、決定してからデザイン、素材、仕入れなど期間が必要だから。ただし、流行色が必ずしもヒットするわけじゃない。消費者に受け入れられず空振りすることもある。プロが方向性をきめても、お金を出すのは消費者なのだ。
ちなみに、JAFCAのWebサイトで無料で半年先までの流行色を掲載している。有料会員になれば一年半先まで閲覧できる。一年半先の流行色を閲覧できる会費は「部会員 | 年会費:12万円」である。
戦国時代の馬はポニーだった
時代劇では、りりしいサラブレッドにまたがる武士の姿が演出されている。しかし当時の馬はかわいいポニーだった。
戦場でも小回りの効くポニーは重宝されていたが、時代が流れ明治になると重兵器を運搬するにあたりポニーでは馬力不足なので、大型の馬が起用された。
叙々苑の看板は爆問 太田光の父が書いた
1976年、六本木に叙々苑1号店を開店する際、爆笑問題 太田光の父 太田三郎氏が内装を手がけた。三郎氏は建築家であり書道家だったので叙々苑は看板の書も依頼した。こうして立派な看板ができあがった。
最後に
雑学を仕入れたら話し方も練習しよう。