私だけでしょうか、綺麗事に虫唾が走ります。「努力は必ず報われる」とか「今の苦しみは明日の幸せのため」など。世の中に綺麗事が溢れているので非リア充のぼくは堂々と本音と建前を執筆してみます。
ちなみにぼくの半生を軸に執筆してますので。あ、ぼくやさぐれてますから(笑)
綺麗事とは
綺麗事とは表向きはよいことを言っているが実際はそうでないこと。
このように解釈すれば違和感を感じても自分は自然だと思う。うん。では徐々にやさぐれていく順番を見ましょう。
ピュアな若者時代
若者時代には世の中の理不尽をまだ噛み締めておらず希望に溢れてます。それはとてもいいことです。どんな仕事をしたいとか活躍したいなど、目の前に広がるのは前途洋々の広がる海です。
何気ないひとつひとつが充実してるですよね(╹◡╹)
やさぐれる社会人時代、綺麗事に虫酸が走る
社会人となり世の厳しさを味わう。誰でも社会にでればその厳しさ、ルールにすぐは馴染めずおろおろするでしょう。そんな中でも少しづつ仕事を覚え成長していくのです。
仕事を覚えて成長していくのって充実感があり、だんだん楽しくなりますもんね。そんなある日、顧客から・上司から、理不尽な要求が。自分がいいように利用されたと知った時にやさぐれスイッチ発動です。
ふらりと本屋に立ち寄って目にした綺麗事をタイトルにした本を見てむ~し~ず~が~!キタ━(゚∀゚)━!
一度、気持ちをピュアに入れてみる
でも気持ちがネガティブになってはいけないので、自分を変えようと幸せ言葉とやらをひとり言としてつぶやき始める。「私は幸せ」と繰り返してみたり。
お風呂で・電車で・トイレで。そして奇異の視線をシャットアウトします。
やっぱり綺麗事に違和感を感じる
綺麗事は理想論だと思い始める。「みんなが幸せになればいい」というが自社の利益のため下請けをカットして倒産に追いやったことは触れない。
それは資本主義経済で仕方ないこととする。ここで再度、綺麗事に違和感を感じます。
本音と建前
本音と建前は表裏一体ですね。仕方のないことだが、本音は口に出してはいけないと思うので建前をならべるしかなくなる。「子どもたちの未来のため」といえば綺麗な言葉ですから反論すれば悪のレッテルを貼られそうですもん。子供を建前にするのは絶対防御ですよ。
自分の言葉をみつける
それでも世の中は綺麗事の言葉を求めてます。大事なのは他人が建前として作った言葉だから違和感を感じるのかもしれません。だったら自分で納得のいく綺麗事を探してみるのがスッキリするでしょう。
まとめ
綺麗事は押しつけられるものでなく自分で納得出来る言葉を見つけてみよう!